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『見てないものこそ。ゲド批判-2-』

ゲド批判…。……2(笑)。
映画も見ずに、作中のたった一言のセリフからあれだけ叩いて、なお叩き足らないとは恐るべし『ゲド戦記』、っつか僕。
で、今回はちょっとややこしいことから書きます。
「道徳は権力だ。」
これ、考えればものすごく当たり前のことなんだけど、あんまり表立ってこういうこと言う人はいないよね(ニーチェとかのほかに)。
道徳は、ただでさえ神聖視されているのに、それに加えて善悪の判断という基本的思考で無意識的に使ってるから、道徳それ自体の批評が恐ろしく難しい。ようするにあまりに近すぎて客観的に見ることができなくて、だから批判も攻撃もうまく出来ないんだけど、その完璧な防御力自体がもうすでに「力」なんだよね。

実際に、道徳は権力、しかも世界中でだれも逆らえないようなかなり強力なやつで、でもやっぱり他の「力」と同じように、そこら中で武器として敵を痛めつけたり、権力者の道具になったり、金を生んだりしてる。
わかりやすい例では同和利権がらみのヤクザなんかがそう。「平等・人権」という道徳の錦の御旗を振りかざして金を脅し取る。鬼に金棒、ヤクザに道徳って感じで。
それと、いやな話なんだけど最近特に話題の「いじめによる自殺」、あれは「道徳を武器にした自爆攻撃」だろう。いじめの被害者に対して普通マスコミはこういう視点からの報道はしないけど、いじめの自殺は明らかに「復讐」の意図がある。物理的な攻撃が不可能な非力な子が、自分の命と引き換えにした最初で最後の攻撃が自殺なんだ。結果、それは敵(いじめた子)に対して「人を殺してしまった」という強力な心理的ダメージを与えることになる。

で、そういうことが「けしからん」とか「嘆かわしい」とか社会的正義をいいたいわけじゃないよ(そういう非難も、結局また道徳を持ち出さざるをえないわけで、気づかないうちに敵とおんなじ武器で戦ってるようなものだ)。
道徳が力なのは事実なんだから、そういう使い方をされるのもまた当前だろうし、むしろ同和利権ヤクザなんかは隠蔽されがちな「道徳=権力」という事実をあからさまにさらけ出してて、逆にその明快さが気持ちいいくらいだよ。

僕が耐え難いのは、その「道徳=権力」という事実に無自覚のまま、これ見よがしに道徳を振りかざして善人(笑)から金を吸い上げている、うすらぼんやりとした連中だ。しかも、こいつらがヤクザより性質が悪いのは、自分たちがなにか「良いことをしている」と本気で信じているんだ。
あ、大作ハリウッド映画なんかはいやじゃないよ(特に好きでもないけど)。「道徳の利権」に対して十分自覚的だし、きちんと商品として価値のあるものを創ってるから。彼らは「道徳・ヒューマニズム」という縛り(制限)の中で、いかに面白い作品を創作するかという、つまりはアーティストよりもアーティザンとしての………って、なんか僕がいうとすべてが皮肉にしか聞こえないかもしれないけど、これは全然皮肉じゃないです。実際ハリウッドの脚本家なんかものすごいレベルだと思う。要するに、彼らは尊敬に値するプロフェッショナルであり、ちっともうすらぼんやりなんかしてない、ということだ。

で、問題は、…お待たせしました(笑)、ジブリの『ゲド戦記』なんだけどね、いや、ゲド戦記ばっかり攻撃してるようだけど、前に書いた「道徳ロック」をはじめ似た例はそれこそいやってほどあるだろう。でも『ゲド戦記』はダメな部分があまりにも顕著だし、ぼくが宮崎駿監督、特に近年「難解でつまらなくなった」といわれるようになってからの、氏の正直で真摯な作品作りには本当に畏敬の念を覚えるから、その仕事を踏みにじるかのような『ゲド』は特に怒りを覚えるんだ。

でもいくらなんでも、映画も見ずに批判もなかろう、という向きもあるかも知んないけど、こんなものに1ルピアだって払いたくないんだよ。
それに、例えば、
もう一目見てフェイクと分かる偽ブランドのバッグについて「でもよく見ると縫製はまともだよ。」なんていってみてもしようがないだろ。
『ゲド戦記』もそれ同様、ひと目でインチキと判断できるんだから細部など見る必要ありません。
優れた作品の「素晴らしさ」は共通した要素じゃない。だから一部分を取り上げて、他の類型から推測できないし、作品全体を通して評価するのは当然のことだ。
でも、腐った作品はどれも「同じように」腐ってる。無数にある偽ブランド品がすべて「ニセである」という共通項で切り捨てられるように、そのダメなものに共通する、ひとつの致命的類型だけ語れば、他を見る必要も語る必要もないんだ。
そして、『ゲド』にとっての致命的類型ってのがなにかといえば、同和利権ヤクザなんかと同じ、
「金を巻き上げるため以外になんの意味もない、権力としての道徳」
ってことだ。

だいたい
「命を大切にしないやつは大嫌いだっ!!」
などというただ道徳を振りまわすだけの知性のカケラもないセリフを、どうひっくり返したところでまともな人間にとっての意味なんて出てくるわけがないんだ。

そして、このふざけたセリフを「素朴なメッセージ」とか言い張るなら、同和利権ヤクザの「人権じゃっ!平等じゃっ!」だって「素朴なメッセージ」なんだよ。
ハリウッド映画みたいに手間ヒマ掛けて商品としての付加価値を付けた「道徳」じゃなくて、こうやってむき出しの「素の道徳」を持ち出してくるやつらはほんとに警戒したほうがいい。
だって、自分の力を一切使わずに道徳の権力を丸ごと拝借して、楽して金を巻き上げようっていう、ろくでもない連中なんだから。
僕が見たところ、そういう事を理解すらしてない「うすらぼんやりしたやつ」がゴロー監督で、それを操ってる「楽して金を儲けたいヤクザ」が鈴木プロデューサーなんだろう。当たってたらゴメン。

でも「道徳の力」を実感するのはまさにこういうときだよね。だって、例えば、どっかの映画監督が
「この作品が伝えたいメッセージは『象さんのお鼻は長い』です。」
とかいったら、だれだって、
「フザケんなっ。頭おかしいんじゃないの?そんなもん幼稚園児でも知ってるわっ!!」
ってなるだろうに、
「『命を大切にしよう』です。」
っていわれたら、怒るどころか、
「言ってることは正しい」みたいにみんな納得しちゃうんだもん。恐るべし道徳力。
正しい正しくない以前に、幼稚園児でも知ってることをわざわざアニメキャラにしゃべらせてなんの意味があるんだよ。人を馬鹿にするのもたいがいにしろよ。

ほんと道徳の威を借るだけで中身カラッポな悪徳「道徳商法」には1コロンビアペソだって払わないよう気を付けましょう。

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コメント (1)

通りすがり:

作り手の真剣さの問題もある気がしますね。自分の中に伝えたいものがなくなってしまった結果、外部にあるメッセージをそのまま消化せずに取り込む、ということになってしまったのではないでしょうか。

記事の論点からは少し外れますが、最近のハリウッド映画に関しても、上記のような問題はある気がします。ある程度売れるためのメソッドが出来てしまっているせいか、クオリティは高いんだけど2回、3回見たくなるような作品がなくなったと思いませんか?

これって本質的には『道徳』云々の問題ではなく、創作の現場から個人が消えつつあるという問題なのではないでしょうか。

僕が懐古主義に囚われているだけなのかもしれませんが、それこそ子供の頃いろいろ空想して純粋に楽しむ、と言った経験を覚えてる製作者がいなくなり、大人として「正しい(=売れる)」ものを作るというゆがんだプロ意識が蔓延した結果のように思えてなりません。

結局のところ『ゲド戦記』がつまらなかったのは、そう言うところに原因がある気がします。『トトロ』なんか、理屈ぬきで楽しいですからね。

まあ、僕も『ゲド戦記』は見てないんですけど。

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2006年11月 1日 22:22に投稿されたエントリーのページです。

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