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「命の大切さ」なんて教える必要ない。

頻発するいじめによる自殺について、なにやらさかんに
「命の大切さを教える必要性」
みたいなことが言われてるけど、完全な読み間違いだ。
こどもが自殺するのは「命の大切さを知らないから」などではない。

「自殺」ではなくて、こどもによる「殺人」の多発についてなら、確かに、「命の大切さ」を教えることは必要だろう。
「人を殺してはいけない」というのは突き詰めて考えた場合、実は、「なぜいけないか」という根拠がない(信じられないかもしれないけど、そうなのだ)。つまり、それは元からある真実なんかじゃなくて、共同体を維持するために、後からこしらえた約束事なんだ。
だからこそ逆に、こどもには「すべての人の命には価値がある」という道徳や、それを奪った場合の法的制裁を「教える」必要がある。なぜなら、それは人がもともと持っていない知識であり、教えなければ知らないことだからだ。

でも「自殺」は「殺人」とは全く違う。だって自分の命を大切にする(死を回避する)のは「本能」だよ。およそ生物であるなら、それこそゾウリムシだって「自分の命が大切」だと知ってるだろう。
そんな遺伝子レベルでの最も深く確実な知識なんだから、たとえどれほど記憶を失おうが、生きている以上「自分の命の大切さを知らない」なんてことはありえない。
当然、自殺する子だって、自分の命が大切なんてことは十分承知した上で、それでも死んでいったんだよ。

なのに「自殺をするのは命の大切さを知らないからだ」などという、おもしろいことを言う人が多いのは、
「人の命を奪うこと」と、「自分の命を絶つこと」という、本質的に全く異なる二つのことを、「命の大切さ」なんて言葉で一緒くたにして考えてるからだ。
しかも、そういう場合の「命の大切さ」という言葉は、個人の本能ではなくて、絶対普遍の「命の価値」という道徳的意味でのみ使われる。

もういちどいうけど、「殺人は悪だ」というのは「共同体の維持」のために作られたルール、約束事だ。そして「すべての人の命は価値がある」という道徳も、真実ではなくて、そのルールをうまく教えるために作られた「嘘」だ。

まあ、たとえ嘘でも「人殺し」をしたがってる人に対しては「命の大切さ」という道徳に訴えるか、法でどう裁かれるかを説明するしかないだろう。
でも、「自殺」をしようとする人間に対して、「(すべての)命の大切さ」という道徳を説くのは、まったく必要のない見当はずれの行為だ。
なぜなら、自分の命が大切なのは、誰かに言われるまでもなく、それ以上知りようがないくらい十分に「知っている」ことだ。そしてその「個体の維持」という本能は確かな真実であり、「共同体の維持」のために作られた道徳という嘘よりも遥かに深く、重大なことだからだ。


しかも、こどものいじめによる自殺に「道徳」を説くのは「必要ない」どころか、とてもまずい逆効果になってしまう。

前にも書いたけど、いじめの自殺は自分をいじめた敵に対する「報復としての自爆攻撃」だ。そして、なぜ自殺が「攻撃」になるのかといえば、自分をいじめた相手に「大切な命」を失わせたという負債(傷)を負わせることになるからだ。

こう考えれば、いじめ自殺をやめさせるため「命の大切さ」を力説する、なんてことがいかに的外れのマヌケな行為かわかるだろう。「命の大切さ」を声高に叫ぶほど、それによって「命の価値」が上昇すればするほど、自殺に追い込んだ側の負債は増す。つまり復讐としての自殺は、より攻撃力がアップして効果的になるんだ。

なのにマスコミがやたらと「命の大切さ」なんてことをわめき散らすもんだから「命の価値」という架空の相場が高騰して、自殺しようとする子にとって「死ぬなら今だ」みたいな馬鹿げた状況になってしまった。
いじめ自殺の連鎖を引き起こしたのは完全に彼らの責任だろう。

「かけがえのない命」とかよくいわれるけど、そういうことですら、命を「交換可能な何か」にしているという皮肉。
「かけがえのない命」も、「だから価値がある」と帰結させれば、結局は「命一般」について普遍的な価値を与えることにしかならない。
そして「命」が「その人自身にとっての価値」を超越した、「他の誰にとっても価値がある貴重品」になってしまえば、それはヤフオクのように交換が可能になる。
自殺したこどもは、そうやって自分の命を「武器」に交換したんだ。

これはいじめ問題の根本的な解決にはならないけど、とりあえず「自殺」をやめさせることが目的なら、「(普遍的、絶対的な)命の価値」なんていう胡散臭いものを、今の高みから引きずり下ろす必要がある。
「命」のレートが暴落して、ティッシュペーパーくらいにしか交換できないことを知れば、みんな大事に自分の中にしまって置くだろう。

だから、自殺を考えるこどもにはたとえばこういうべきだ。

「本当のことを言おう。
君の命なんて他人にとってはなんの価値もない。
いや、君の、だけじゃない。僕の命でも、だれのでも、
好きでもない他人の命なんて本当はどうでもいいことなんだ。
それが、「とても価値のある大切なこと」だというのは、
全部大人が作った「嘘」だ。
だから、

とても残念なことだけど、
君の勇気を振り絞ったただ一度の反撃は完全な失敗に、
ただの犬死に終わるだろう。
君が恐怖と憎悪と苦痛の中、
命と引き換えに手に入れようとする武器は、
元が嘘から作られたまがい物の剣なんだ。
それは見てくれは立派でも、鋼ではなくてスチロールでできてる。
そんな武器では君が死ぬほど憎んだ敵に、まともな傷は負わせられないんだ。

君が死んでも、やつらが苦しむのは最初だけさ。きっとすぐに忘れてしまう。
やがて普通においしいものを食べたり、
くだらないテレビを見て笑ったり、
誰かとセックスするようになる。

君の外側に「本当の命の価値」なんてものがあるわけじゃない。
そして、君以上に君の命の大切さを知っている人間なんて世の中に存在しないんだ。

自分で考えるんだ。

君にとってほんとに重要なことは全部、
君は知っているはずだから。
そして、それは君自身しか知りえないことなんだ。」

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コメント (1)

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なるほどなと納得できる内容でした。
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2006年11月14日 14:12に投稿されたエントリーのページです。

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