« 僕はイヌを信じない。 | メイン | M・ナイト・シャマラン監督『サイン』は名作なのだっ。 »

本田透『喪男の哲学史』

本田透『喪男の哲学史』
なにこれー。本田透って有名なんですか?ぜんぜん知らなかった。
「喪男(モダン)」なんて2ちゃん語も知らなかった。ようするにモテないキモい負け組と呼ばれる人たちのことで、ってなんだ、僕のことだよ、それ。

んー、面白い。いや、面白いの一言では片付けられない、血を吐くような魂の叫び。

僕のようなキモい人が、この現実をどーにか生きていくための数少ない武器は「哲学」「音楽」「お笑い」であると常々思ってきたけど(※音楽については僕も、『キモい人のための音楽論』って駄文を書いてみたが。)、自身キモヲタでいらっしゃる本田さんもこの本で「キモい人にとっての哲学」を語ってる。
「勝ち組のモテ連中には哲学なんて本来まったく必要ない。キモい喪男こそ哲学を必要とし、またそれを生み出すのだ。知的なファッションを演出するモテアイテムとしてのみ哲学を利用するモテ野郎は氏ね」、と。

あなたは僕ですか?本田さん。
昔、僕がまだ離人症になりたてのころ、それまでは僕も信じていた社会の中のいろんな「シアワセ」が、いきなりぜんぶ自分と無関係になっちゃって、どーしていいかわかんなくて暗黒の隔絶空間の中でのたうち回ってた。
そんなとき読んだニーチェの『ツァラトストラ』は、えと、僕にとって、たとえば餓死寸前のビンボー人が読む『食べられる野草の本』みたいな究極の「実用書」だった。つまり、それ読まなきゃ死んじゃうかもしれないからどうしようもなしに読むのであって、「教養」のためでも「知的好奇心」のためでも、ましてやモテのためなんかじゃ絶対になかった。そんなゆとりなんてまったくない。
で、想像してほしいんだけど、もしその『食べられる野草の本』を片手に、地べた這いつくばって必死で野草の弁別をしてるキモいビンボー人に、ですよ、毎日大トロ食ってる金持ち野郎が近づいてきて「野草ってヘルシーなんだよね、いい本だよねそれ」とか言ったら、そりゃ「あっち行け。氏んじゃえ、ばーか!!」ってなるよね。

「ルサンチマン」って言葉の最近の使われ方にも「いかがなものか」と軽い調子で物申してたけど、実際はそうとう激怒してるんだろう。
彼ら勝ち組のモテには、ニーチェ自身が巨大なルサンチマンだということすら理解できないんじゃないかな。それがわかってんのなら、「ルサンチマン」を簡単に「弱者を糾弾するためのお手軽フレーズ」としてなんて使えないだろう。結局、「ルサンチマン」は、それを感じたものにしか理解できないと思う。ニーチェがキリスト教道徳の本質を「ルサンチマン」と見破ることができたのも、ニーチェ自身が並外れたルサンチマンだったから、ということでしょう。

そりゃ細かいことをいえば、あれ?って部分もある。たとえば、「脳科学と物理学が哲学を引き継いだ」とか、「言語から数学」へ、とか。
哲学と称して、単なるモテるためだけの無意味なレトリックの山にウンザリしてるのはわかるけど、でもウィトゲンシュタインのいう「言語」は、数学も含まれるんじゃないのかな(僕もあんまし詳しくないけど、たぶんそうだろう。)
だからウィトゲンシュタインのいう「言語の限界(世界の限界)」については、物理学でも数学でもやっぱり「語りえない」だろう。たとえば、茂木先生の「クオリア」なんてのも、どーにもならなくて途中で頓挫すると思う。技術力の問題ではなくて、原理的に取り扱えない問題、というのが確かに存在するし、その境界を見極めるのはやっぱり哲学しかないんじゃないかな。科学は突き進むだけだから。

まあ、そんなことを差し引いても、この本が素晴らしいことに変わりない。
特にキモい人は必読ですYO。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://strangelove.jp/mt/mt-tb.cgi/22

コメント (1)

コメントを投稿

About

2007年8月 6日 17:48に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「僕はイヌを信じない。」です。

次の投稿は「M・ナイト・シャマラン監督『サイン』は名作なのだっ。」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by MovableType