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『初音ミク』と「精神・物質二元論」について。

…。『初音ミク』。知ってますか?AV女優じゃないですよ。DTMが趣味だったり、日ごろニコニコ動画見てる人には今さらだろうけど、知らない人はまったく知らないと思うので簡単に説明すると、『初音ミク』とは最近発売になった少女の合成音声で歌わせるDTM用ソフト音源の名前です。

で、これがなんかとんでもないことになってる。熱狂の中心はニコニコ動画なんだけど、発売して間もないにもかかわらず大量の作品がアップされてて、その中でも僕が一番感銘を受けたのはPerfumeの『エレクトロ・ワールド』を、アイドルマスター(※ナムコが作った萌え系3DCGのアイドルシミュレーションゲーム)のキャラクタが踊りながら『初音ミク』の声で歌う、というやつ。
(ニコニコ動画↓)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1041483
(ニコニコのアカウントがない人用youtubeに転載版↓)
http://www.youtube.com/watch?v=XyvdWDaVuK8
…。なんじゃこれは。打込の演奏、CGアイドル、合成音声。人っ子一人いやがらねー。で、驚くべきことにそれがまったく何の問題もないのだ。

でもそれはポップアイドルやテクノ(エレクトロ)ポップの本質を考えれば、特に驚くようなことではないのかもしれない。
テクノという音楽は「物質文明への風刺」と思われがちだけど、実はそうじゃない。そもそも世界を「物質文明」だ、なんて表現してしまう感覚そのもの、つまりそういった世界の捉え方の元になってる「精神・物質二元論」への反発だろう。
んー。世界を「モノ」と「精神(こころ)」に分けるってのは、今の世の中、というかデカルト以来「常識」になってしまってるので、いまさらだれも疑わないけど、ほんとはそんなもんただの「勘違い」なのです。
「モノ」を「モノ」として存在させているのは「この私」であり、逆に「この私」の存在を支えるのは「モノ」の存在である、…んー「支える」じゃないな…。えと、「私」と「モノ」は「私=モノ」といえるほど完全にピッタリと密着していて、分別することなんてできない(永井均先生の『ウィトゲンシュタイン入門』の中に、「(ウィトゲンシュタイン的)独我論はつきつめれば実在論になる」ってのがあったけど、まさにそういうことです)。

そんな本来「私」から不可分なはずの「モノ」を「精神・物質二元論」なんてものが、むりやり真っ二つにぶった斬った結果どーなったのか?
それは二極化の方向をたどるんだけど、まずひとつは「人間性・精神性・心」こそが素晴らしいと持ち上げて、反対に「モノ」は価値を剥奪され貶められる方向。
例としてはいくらでもあるだろうけど、ちょっと前のなんたら大臣の「女性は生む機械」発言の騒動を思い出してほしい。あれって、
「製品をたった一、二個しか製造できない工業機械がどこにあるんじゃ。ぜんぜん比喩になってねー。こんな例え話ひとつ満足に出来ないウスラトンカチが我が国の大臣とは実にけしからんっ!!」
と、みんなして怒ってるのかと思ったらそうではなくて、
「女性(人間)を機械(モノ)なんかに例えるとはけしからんっ!!」
っていう話だったんだけど、たかだか比喩表現一つであれだけヒステリックに騒ぎ立てたのをみれば、いかに多くの人が「モノとの違いこそが人間の証し」と信じているかってことだろう。

そして、もう一つの方向はさっきと反対に、「金(モノ)こそがこの世の全て」とする、物質(モノ)をおもいきり持ち上げて、精神や人間性の方を低く置く立場だ。
「この私」から引き剥がされた「モノ」は、外側の世界で「他者と共通の価値」が固定され、金で流通、交換される「モノ」になる。だから、それらの「モノ」を「私のモノ」にするには金で買うしかなくて、逆に金さえあれば世界が手に入る、といった考えだ。

というわけで、「人間だもの(みつを)」も「金だもの(ほりゑ)」も、正反対の主張に思えるけど実は出所は一緒、「精神・物質二元論」という同じ穴のムジナなのです。
(キリスト教もイスラム教も元は同一の神なのに争ってる、ってのといっしょ。対立してるように見えるものは必ず似たもの同士で、「囲碁VSキックボクシング」のような異種対戦は不可能なのだ)

…んーと、何の話だっけ?ああ、テクノについて。で、テクノやエレクトロポップっていうのは、ヨガのポーズで「人という字はね…」などと説教を垂れるスピリチュアル野郎にぶち切れた、とあるミュージシャンが
「あ゛ー、も゛ー精神だの人間性だの、超ウゼーっ。んなジメジメして狭っ苦しいとこに俺を閉じ込めんじゃねー。これでもくらえっ!」
と、怒りにまかせて作った「心・精神・人間性などを根こそぎ排除した音楽」なのだ。
いわばそれは、精神主義によって地に落とされた物質(モノ)の復権運動で、「私=モノ」という健全な認識を取り戻す試みのひとつだろう。
今ここに在るモノ(音)こそが全てで、それこそが神秘・奇跡なのであり、「人間性」などという形而上の中身なんてカラッポだ、っていう。

だから、テクノの声にかけるヴォコーダーのようなエフェクトは「人間性」という不純物の排除が目的で、人間の声に機械っぽさを「足した」のではない。
そう考えれば、さっきの『エレクトロ・ワールド』の初音ミクと元うたのPerfumeを比較した場合、Perfumeの「人間性」なんてなんのアドバンテージにもなってない、どころかただのマイナス要因にすぎず、そんなもの最初からない初音ミクのほうが有利な位置にいることがわかるだろう。
そりゃ当然聞き比べれば原曲のほうが完成度が高いけど、それは純粋に技術的な問題であり、しかも、時間と金をかけたプロ集団の手による作品と、一DTMファンが余暇でこしらえた趣味的作品が普通に「比較できる」レベルだということが、逆に本質的・致命的な隔たりが存在しないことを物語っている。

このように初音ミク(それとアイドルマスター)によってテクノポップアイドルという存在が人間である必要がない、という事実がさらけ出されてしまった。Perfume本人とそのファンには大変気の毒だけど、選んだジャンルが悪かった。エレクトロポップもアイドルも、もともと「人間性」など必要としなかったのだし、代わりのテクノロジーが発達すればいずれ不要になるような存在だったのだ。そして、そのテクノロジーはもう初期の実用段階に突入している。
しかし面白い時代になったもんだ。

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コメント (8)

菫:

貴方様のお話は、何時も面白いですね。

新たな観方が発見される感覚。
素敵です。

考える変:

>菫さん
うあ、めずらしくコメントもらったー、ありがとう。…と思ったら、ブログの設定が「認証せずに即時公開しない」なんてなってた(初めて知ったよ)。すみません。

菫:

いえいえ、わざわざお返事有難う御座います。

またコメントさせて頂くかと思いますが、
宜しく御願いします。

更新楽しみにしていますね。

バス:

ホームページはもう更新していただけないのですか?

菫:

是非、更新して下さいませ。
今でも拝見しています。

ドウモ:

ザーっと拝読したのですが、
とても面白いですね!
今は更新されていないようなので、
一編づつじっくりと再読していきたいです。

eto:

主さんのお話、すごい面白いです。

ウテナで検索して(笑)ふらっと、立ち寄って、
むしろ他の記事にのめりこんでしまいました

主さんの新しい言葉を読みたいので、
また更新して頂ければと足跡を残す次第でございます。

張卯:

黒の契約者流星の双子をみていたらディオスの銃みたいなのが出たので関連性を求め検索した流れでここに来ました。初音ミクも、数十曲見た。7年位前に出ていてそれに自分が気がついていたら嵌ったかもと、考えながらかきこしてます。ウテナX3論
も面白く拝見しました。
新たな解釈を得て改めて見直してみたくなりました。

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2007年9月24日 11:13に投稿されたエントリーのページです。

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