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解読
少女革命ウテナ

1.ウテナとアンシー

解説_2.ディオスと鳳暁生→

解説_3.『ウテナ』の虚構論→

いきなり核心から入るが、天上ウテナと姫宮アンシーは二人で一人、つまり同一人物である。
『少女革命ウテナ』という物語を極端に要約すると、
「現実世界があまりに過酷なため、丸ごと一人では生きられず、半分に分裂した虚構として生きていた女の子が、最後に元の一人の人間にもどる」
ということになる。

はじめにあるのは“絶望”

この作品では、幼いころのウテナの回想として以下のエピソードが繰り返し語られる。
〜突然の事故で両親を失い一人残された幼い少女は、残酷で理不尽な世界への恐怖と、有限の命への絶望のため柩(ひつぎ)の中に閉じこもり、生きること自体を放棄してしまっている。そんな彼女の前に王子様(ディオス)が現れ、「永遠なんてあるわけない」という彼女に“永遠のもの”を見せて柩の外へと救い出す。〜
・・・そして、その“永遠のもの”の正体とは“無数の剣に串刺しにされた女の子(アンシー)”だった、ということが終盤明かされるわけだが、ウテナが生きることを決意する“永遠のもの”は、なぜ“永遠に苦しみ続ける少女”だったのだろうか。また、その後ウテナはなぜ「王子様」を装ったのだろうか。

そもそもウテナが柩に閉じこもっていたのは、“理不尽で残酷な現実世界”から逃れるためだ。ならば、まるで彼女にとっての“恐るべき現実世界”が具現したかのような凄惨な光景を見せつけられたら、その絶望がさらに深まるだけで、なおさら柩から出ようとはしなくなるのではないだろうか。
さらに不思議なのは、ウテナが出会った王子様(ディオス)とは、たった一人の女の子すら救えなかった、ただの無力な、落ちぶれた“元”王子にすぎないのだ。ならばウテナにとっての王子様とは、
“〜お姫様は王子様にあこがれるあまり、自分も王子様になる決意をしてしまったのです。〜”
とナレーションで語られるような、生きる目標となる“あこがれ”の対象などではなかったはずである。

だがウテナは柩の外へと出る。そしてそこに重要なギミックがある。

その“串刺しにされた少女”とは実は、残酷な世界によって深く傷つけられた彼女(ウテナ)自身なのである。その“瀕死の自分”を彼女は“自分と別のかわいそうな子(アンシー)”として切り離し、自分が入っていた柩の中に閉じ込めて、記憶から完全に消し去ったのだ(※1)。つまり彼女は自分の半身を犠牲にすることで(自分の中の闇を一切なかったことにして)、絶望に満ちた外の世界に“半分だけ”抜け出すことができたのだ。そして光の属性だけを持ち、全ての闇を捨て去った“偽りの存在者”であるウテナは、そのまま“王子という虚構”を演じることになるのである。

『少女革命ウテナ』の革新的で面白いところのひとつは、同一人物である天上ウテナと姫宮アンシーを同時に登場させている点だろう(たしかにそれが物語を難解にさせている一因でもあるが)。

アンシーが“魔女”として世界に現れるプロセスは、ちょうどウテナの場合を反転させて考えればいい。 ウテナの場合、自分の中の闇や絶望を閉じ込めることによって、残酷な世界の中でも光の王子という虚構として生きることが可能になった。 それに対してアンシーは、そのままでは生きることが困難な世界を、すべての光や希望を閉じ込めた完全な暗黒・虚無になりきること、この物語では“魔女(※2)”と呼ばれる虚構を演じることで生きたのだ。つまり、最初から希望の光がまったく無ければ、苦しみも絶望も存在しないのである(※3)。 こうしてアニメ史上、というより他ジャンルでも類を見ない“starless(暗黒)”&“虚無”のキャラクター“アンシー”が誕生する。

このように、ウテナとアンシー(王子と魔女)は、闇を閉じ込める光、あるいは光を閉じ込める闇という風に、互いに相手を封印することにより存在している偽りの人間、絶望から生まれた虚構の役者たちであり、これが二人(一人)の関係の基本構造となっている。

やがて不完全な彼女(たち)は原初に戻る。

この物語上で王子が救出する囚われの姫君とは、かつて自分が王子として存在するために自ら閉じ込めた魔女である。
このことは、王子による姫の救出が最初から不可能だったことを意味する。 なぜなら、王子は魔女を封じ込めることによってのみ存在できる虚構だから。王子が魔女を救出することは、ウテナとアンシーを存在させているシステム、つまり王子と魔女の物語世界そのものを破壊することだからである。事実、ラストでウテナがアンシーを開放した瞬間に彼女(たち)の存在を支えていた世界は崩壊する。そしてウテナは消え、残されたアンシーもすでに魔女ではなくなっているのである。
しかしそれは少しも悲劇ではなく、これ以上ないハッピーエンドであり、完全に新しい物語の始まりといえるだろう。 単独では虚構にすぎない光と闇はこうしてひとつになった。アンシーは同時にウテナに、リアルな生を生きるひとりの人間になったのだ(※4)

単に物語の筋が変わったのではなく、物語の枠組み、それ自体を破壊して完全に別の新しい物語へと創り変えること。世界のシステムの外側に出て、世界の意味そのものを変化させること。それをこのアニメでは“革命”と呼んでいる。ウテナとアンシーの革命はこうして成されたのである(※5)

解説_2.ディオスと鳳暁生→

解説_3.『ウテナ』の虚構論→

(※1) 最終話でウテナが開ける柩の中にアンシーが入っているのは、あの柩こそ、かつて幼いウテナが閉じこもっていた柩だからである。ウテナの「やっと会えた」というセリフは、あの時置き去りにしてしまったもう一人の自分に語りかけたのだ。

(※2) 物語の中で“王子によって封印された魔女”のことは特に“薔薇の花嫁”と呼ばれている。これは「光の王子は闇を封印する(犠牲にする)ことで存在している」という構造を、「闇が光を救うために自ら犠牲になった」と、逆に闇の立場から捉えた表現である。だが、結局のところウテナとアンシーがもともと同一である以上、この二つは同じことであり単なる表現上の違いでしかない。

(※3) 終盤、ウテナとアンシーの関係が深まるにつれ、二人のこの“苦痛&絶望無効化システム”も徐々に崩壊し始める。そしてクライマックスでアンシーはウテナの背中に剣を突き立てるのだが、それは特に裏切りとは言えないだろう。ウテナもアンシーも本来相手の苦痛の根源としての存在なのであり、だからこそお互いを封印したのだ。ウテナ本人は気づいてないが、痛みを感じないはずのアンシーを自殺寸前にまで追い込んだのは、他ならぬウテナの“光”“希望”という剣なのである。

(※4) この光と闇が再会する描写は本当に素晴らしい。
ここでひとつ。“薔薇の門”を“アンシーの柩”に変えさせたウテナの、
〜「姫宮…、君は知らないんだ、いっしょにいることでボクがどんなに幸せだったのか…。」〜
というセリフについて。これは鳳学園での生活のことをいっているのではない。それ以前の昔、ウテナが柩に入る前、一体となったリアルな生を二人で(一人で)生きていた当時のことを指している。

(※5) すでに何度も指摘されているだろうが、作品中にヘルマン・ヘッセの『デミアン』からの引用がある。
〜鳥は卵から出るために戦う。卵は世界である。生まれようとするものは世界を破壊しなければならない。〜
これはそのまま『少女革命ウテナ』のテーマにつながっている。そして、そのあと『デミアン』ではさらに、
〜鳥は神へと向かって飛ぶ。神の名は“アブラクサス”という。〜
と続くのだが、その“アブラクサス”とは“光と闇の結合”した神なのである。

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